混合診療問題は自由診療問題ではない

上昌広氏が混合診療問題と自由診療問題を混同した主張を展開している。

導入目的論 

ところが、最近になって混合診療の規制緩和を再び議論し始めたのは、増え続ける国民医療費を抑制するためだ。 正確には、自由診療を選びやすくして保険診療を削減し、公的医療保険や税金からの費用支出を抑えるためである。 保険からの医療費給付にキャップをかければ、国民医療費全体は増えても公費は抑制できる。

ただ、これは難しい。 高齢化が進む日本で、現状の保険医療を維持するには、いずれ大幅な負担増は避けられないからだ。 現実的に国民皆保険を守るには、負担を増やして給付を削減するしかない。

なぜ国は混合診療を認めないのか? - 時事オピニオン

「増え続ける国民医療費を抑制する」ことも「大幅な負担増」もなしに医療財政が改善できることは現実的医療財政改革にて詳細に解説している。 ここでは項目だけ挙げておく。

  • 「増え続ける国民医療費」よりも経済成長の方が何倍も上回っており、医療以外に費い過ぎなければ医療財源は破綻しない
  • 国民皆保険の財政一元化により市町村国保は黒字化できる
  • 所得階層の細分化
  • 必要性の乏しい医療の保険外し
  • 窓口負担10割化

「国民医療費」が「増え続ける」のは技術革新による平均寿命の向上による。 そして、技術革新は経済成長も産む。 つまり、技術革新は、経済成長と「国民医療費」増加を同時にもたらす。 であれば、経済成長に伴って「国民医療費」が「増え続ける」ことは当然のことである。 そして、経済成長が伴う限り「国民医療費」が「増え続ける」ことは何ら問題にはならないはずである。 ようするに、経済発展を無視して、「国民医療費」が「増え続ける」ことだけを殊更に強調することで、あたかも危機的な状況にあるかのように思わせているだけである。

そもそも、「現実的に国民皆保険を守る」とは何か。 国民皆保険制度は、端的に言えば、貧乏を理由に命を諦めることのないようにする制度である。 正確に言えば、日本国憲法第二十五条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の医療部分のうちお金で解決できる範囲を貧富に関係なく国民に保障する制度である。 であれば、治療費さえ払えれば生き長らえられたにも関わらず、治療費が払えないために命を諦めなければならないようになるのなら、それは「現実的に国民皆保険を守る」とは到底言えない。 つまり、命に関わる部分の「給付を削減」しては、「現実的に国民皆保険を守る」とは到底言えない。 しかし、上氏の言う「給付を削減」には、命に関わる部分も含まれているようである。 それでは、上氏の言う「給付を削減」は国民皆保険制度の崩壊を招く。 つまり、上氏の主張は「国民皆保険を守る」ために、国民皆保険制度を崩壊するしかないと言っているに等しい。

尚、ここで、上氏が「現実的に国民皆保険を守るには、負担を増やして給付を削減するしかない」として「保険診療を削減し、公的医療保険や税金からの費用支出を抑える」ことを正当化していることを覚えておいていただきたい。

前者は高齢者の自己負担のアップ、後者は医師の処方せんがなくても買える大衆薬(OTC)の拡大などで現実化している。

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「高齢者の自己負担のアップ」の必要性がないことはすでに説明した通りであり、また、経済状況を考慮しない一律の「高齢者の自己負担のアップ」は既に説明した国民皆保険制度の趣旨とも一致しない。

「医師の処方せんがなくても買える大衆薬(OTC)の拡大」については、命に関わる部分の「給付を削減」の是非とは全く関係がない。 「医師の処方せんがなくても買える大衆薬(OTC)」は、国民皆保険制度の対象とする必要がないものである。 「の拡大」とはスイッチOTCのことを言っているのだろうが、元々、スイッチOTCが処方箋薬だったのは安全性が不十分で医師の処方が必要だと考えられてきたからである。 そして、保険医療機関及び保険医療養担当規則第十九条で、保険医は「厚生労働大臣の定める医薬品以外の薬物」を処方してはならないことになっているため、保険給付対象としてきたものである。 安全性の問題が解決され、処方箋の必要のない市販薬で賄えるようになったなら、「給付を削減」するのは当然であろう。

近い将来に議論が避けられないのは、治療効果は高いが、高額な医薬品を保険収載する、つまり公的医療保険が適用される医薬品に指定するかどうかだ。 とくに最近開発された新薬は驚くほど高い。 アメリカのアレクシオンファーマ社が開発した血液難病の特効薬「ソリリス」(一般名エクリズマブ)を治療に用いた場合、1年間の薬代は約5000万円。 10年にアメリカで承認された前立腺がんワクチン「プロベンジ」(一般名シプリューセル-T)が日本で承認されれば、その接種費用は患者1人あたり930万円となる。

このような治療法を、際限なく公的医療保険でカバーし続けることは不可能だ。

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あたかも極端に「高額な医薬品」が存在するかのような印象を与えているが、実態上は極端に「高額な医薬品」は存在しない。

発作性夜間ヘモグロビン尿症(指定難病62) - 難病情報センターによれば、「ソリリス」を必要とする発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)の患者は400人に過ぎない。 対象となる患者数が少ないから、開発コストを回収するためには薬価を高くせざるを得ない特殊な医薬品である。 そして、対象となる患者数が少ないから、薬価が高くても医療費全体への影響は小さい。 以下の資料によると日本の総医療費は約58.4兆円(2016年)、薬剤費は約10.5兆(2014年)であるので、PNHの全患者に「ソリリス」を使用しても、総医療費全体の0.03%程度、薬剤費全体の0.2%程度である。

この記事が執筆された2013年9月時点では、「アメリカで承認された前立腺がんワクチン『プロベンジ』」は国内では承認の目処すら立っていない医薬品である。 「国内で薬事法上未承認・適応外である医薬品・適応のリスト」(2018/4/4時点のデータ) - 国立がん研究センターNo.86によれば、「プロベンジ」は2018年4月4日時点でも未承認となっている。 日本独自の原価計算方式か類似薬効比較方式で算定される国内薬価については、海外の価格をそのまま当てはめて「その接種費用は患者1人あたり930万円となる」などと言えるわけがない。 尚、開発状況が未着手となっていることから、未だに承認申請どころか治験にさえ至っていないのであり、「高額な薬剤」という理由で「保険収載できない」という判断が為されたわけではない。 前立腺がん治療 - がん情報サービスによると、2006~2008年に診断を受けた前立腺がん患者の5年相対生存率はⅠ期からⅢ期まで全て100%である。 新しい治療法を必要とするのはⅣ期の患者のみに限られるが、それでも5年相対生存率は64.1%ある。 先ほどの5年相対生存率の表の患者比率(7,806人中1,047人)、最新がん統計 - がん情報サービスの前立腺がん罹患率(120.9/10万)、人口推計(平成29年10月1日現在) - 総務省統計局の総人口(1億2670万6千人)を元に単純計算すると、前立腺がんⅣ期の患者数は約2万人となる。 また、「プロベンジ」の適応は「去勢抵抗性の転移性前立腺がん」であり、全ての前立腺がんに適応とはなっておらず、患者数はかなり限られると思われる。

以上の通り、これらの話は総医療費や薬剤費全体への影響を考慮せず「患者1人あたり」の費用を殊更に強調したり、日本での薬価を考慮せずに危機感を煽っているだけである。 よって、「このような治療法」に限れば、「際限なく公的医療保険でカバーし続けることは不可能」とする根拠はない。

そもそも、日本の薬価計算方式では従来薬と比べて極端に「高額な医薬品」が生まれることはあり得ない。 日本の薬価計算方式には類似薬効比較方式と原価計算方式があるが、まず、類似薬効比較方式が従来薬より高額にならないことは言うまでもないだろう。 原価計算方式も原価が変わらない限り、従来薬より高額にはならない。 その原価の大部分を占めるのが開発コストであり、すなわち、効果を証明するコストである。 医薬品産業ビジョン2013 - 厚生労働省P.15の「新薬開発の成功率」のとおり、医薬品の成功確率は年々低下しているため、開発コストが徐々に上がっていることは事実である。 革新的新薬の創出に向けて - 歳出改革WG 重要課題検証サブ・グループ(第5回)P.3のとおり、基礎研究や非臨床試験で大幅に候補が絞られるため、治験のコスト増にはならない。 よって、単純に成功確率の逆数に開発コストが比例するわけではない。 多少は開発コストは増えているが、少なくとも、ここで上氏が印象付けようとしたほど極端に高額となってはいない。

最近では、オプジーボの薬価が問題視されたが、これも患者数が少ない疾患に承認された後に、患者数の多い疾患に適応拡大された結果起きた珍事である(ニボルマブ(オプジーボ)は国を滅ぼすか?参照)。 オプジーボは、その後、2度の薬価の大幅引き下げが行われている。 同様に、このような珍事が起きた場合は、対象患者数に合わせた薬価見直しをすれば良いだけであろう。 ようするに、日本の薬価決定の仕組みが、薬価収載時の原価計算方式だけ適正な計算を行なっていて、類似薬効比較方式や薬価改定には適正な計算がされていないことが問題なのである。 これは、日本の薬価決定の仕組みを見直せば済む問題であって、「際限なく公的医療保険でカバーし続けることは不可能」とする根拠にはならない。

本来、医学的に有効であることと、費用を保険でまかなう保険償還とは別次元の話である。 ところが日本では「有効性が証明された治療法・薬剤は厚生労働省が承認し、保険償還される」ことになっていた。 こんなことができたのは、当時は国民がみな若く、財政状態もよかったからだ。

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現実的医療財政改革にて詳細に解説しているとおり、「こんなことができた」のは、「当時は国民がみな若」かったからではなく、医療費増大よりも経済成長の方が圧倒的に大きいからである。 医療費増大よりも経済成長の方が何倍ものペースであることは、ここ近年でも変わりがない。

早晩、有効性が証明されても、あまりに高額な薬剤は、保険収載できない日がやってくる。

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既に説明した通り、「あまりに高額な薬剤」なるものは幻想であるし、「保険収載できない日がやってくる」という財政的根拠はない。

  • 医療費の伸びよりもGDPの伸びの方が遥かに上回っており、医療以外に費い過ぎなければ医療財源は破綻しない
  • 国民皆保険の財政一元化により市町村国保は黒字化できる
  • 所得階層の細分化
  • 必要性の乏しい医療の保険外し
  • 窓口負担10割化

情報格差問題 

最大の目的は、悪徳医師が情報格差を利用し、患者に不適切な治療を強いるのを防ぐことだ。 医師と患者に情報格差がある以上、一定の規制は必要である。 しかしながら現在、混合診療の規制緩和を求める患者の多くは、状況がわからないまま治療を受けさせられたわけではない。

私は、混合診療は運用次第で、患者の選択肢を増やす手段になると考えている。 むしろ、一律に禁ずるほうが弊害は大きい。 それは医療が日進月歩で、不確実だからだ。 厚生労働省が「正しい治療」を決めることはできないし、どこまでリスクをとるかは、患者により異なる。 また、治療は時間との勝負だ。 柔軟に対応しなければ、患者ニーズに対応できない。

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「混合診療の規制緩和を求める患者」だけが「状況がわからないまま治療を受けさせられ」なければ良いわけではない。 守るべきことは全ての患者が「状況がわからないまま治療を受けさせられ」ないようにすることである。 そして、「混合診療の規制緩和を求める患者」でない患者こそが「状況がわからないまま治療を受けさせられ」るリスクが高い。 そうしたリスクの高い患者を守るために、混合診療を禁止しているのである。

国が効果や安全性を担保しない治療法であることを正しく伝えられ、そのことが何を意味するかを患者自身が理解し、かつ、患者自身の自発的意志で治療を選択できる(以下、こここでは「自由診療3条件」と表現する)なら、混合診療を禁止する必要は全くない。 しかし、「情報格差」はそうできない患者を生む。 「どこまでリスクをとるか」を患者自身で選択することが保証されないから、混合診療を禁止しているのである。

混合診療解禁論を唱えるなら、そうした高リスク患者をどう守るかを論じるべきであろう。 低リスク患者をいくら論じたところで、高リスク患者を保護する必要がなくなるわけではない。

もちろん、混合診療の規制を緩和すれば、一部の医療機関が暴走する懸念もある。 残念ながら、これまでに不心得な医師がいたのは事実だ。 適切に運用されるためには、医師が積極的に情報を開示し、国民の信頼を得る必要がある。

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「医師が積極的に情報を開示し、国民の信頼を得る」ことをどのように担保するのか。 ルールを故意に破る医師や守っているつもりで守れていない医師は当然出てくるだろう。 意思疎通の不備で、患者の意思を尊重しているつもりなのに、事実上、医師の判断を押し付けてしまうことも起こりうる。 特に、切羽詰まった状態の患者は冷静な判断力を失うことが多い。 そういう状況では、自由診療3条件が担保できない。 解禁によって失われる自由診療3条件を取り戻すための具体的な対策を提言しない解禁論は、ただの精神論に過ぎない無責任な主張である。

患者負担 

では、混合診療の規制緩和に反対する人は、どんな意見を言っているのだろう。 最右翼は厚生労働省や日本医師会だが、彼らの言い分は納得しがたい。

たとえば、保険財政の観点から問題を指摘している。 「混合診療が一般化すると患者負担が不当に広がり、国民皆保険が崩壊する」といった理由だ。 要するに、不心得者の医師が怪しい治療を高値で患者に押しつけたり、製薬会社も金のかかる臨床試験をやめて自由診療で済まさせようとする。 その結果、金持ちしかよい医療を受けられなくなる、と考えている。

しかしながら、私が知る限り、これは検証されていない仮説に過ぎない。

むしろ現状こそ、混合診療を希望する患者には、保険診療分についても医療費の給付を行っていないのだから、経済的負担を増加させている、との見方も可能だ。

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「不心得者の医師が怪しい治療を高値で患者に押しつけ」ることは、有効性や安全性の問題であって、「患者負担が不当に広がり、国民皆保険が崩壊する」問題ではない。

上氏は、先ほど「現実的に国民皆保険を守るには、負担を増やして給付を削減するしかない」としていた。 「負担を増やして給付を削減する」ならば、当然、「患者負担が不当に広が」ることは確実であり、事実上「国民皆保険が崩壊する」のと等しい。 自ら、「負担を増やして給付を削減する」と言っておいて、それが「検証されていない仮説」とはどういうことか。

  • 「国民医療費全体は増えても」という前提
  • 「負担を増やして給付を削減する」=長期的効果
  • 混合診療における「保険診療分について」「医療費の給付」=短期的効果

長期的効果では、「公的医療保険や税金からの費用支出を抑える」分だけ、患者負担は増える。 短期的効果では、「医療費の給付」が増えることにより、「公的医療保険や税金からの費用支出」は増えるが、一部の患者の負担は減る。 ただし、混合診療の自由診療分を負担できない貧乏な人は短期的効果の恩恵を受けられない。

では、長期的効果と短期的効果のどちらが大きいのか。 短期的効果の方が大きいなら、「公費は抑制」には逆効果である。 「公費は抑制」が成立するならば、当然、長期的効果の方が大きいに決まっている。 であれば、超短期的には、混合診療解禁によって一部の患者負担は減るかもしれない。 しかし、「公費は抑制」の効果が明確に現れる段階では、混合診療解禁によって全ての患者負担が増えることは疑う余地がない。

ようするに、混合診療解禁論は、長期的効果のみで「公費は抑制」できるとし、短期的効果のみで患者負担は減るという二枚舌を使い分けているだけなのだ。 本来ならば、公費負担を語るにしろ、患者負担を語るにしろ、どちらも長期的効果と短期的効果の両方を考慮しなければならない。 そうすれば、どこかに打ち出の小槌でもない限り、「国民医療費全体は増え」る状況で「公費は抑制」と患者負担の削減を両立できるわけがないことは子供にでもわかる理屈である。

さらに言えば、短期的効果の恩恵を得られるのは、混合診療分の治療費を払える人だけである。 超貧乏な人は短期的効果の恩恵を一切得られずに、長期的効果による負担増だけを背負うことになる。 貧乏人にとって混合診療解禁は損にしかならないのである。

混合診療解禁論は、どうして、このような詭弁を弄するのか。 それは、上氏の、次の言葉に集約されている。

早晩、有効性が証明されても、あまりに高額な薬剤は、保険収載できない日がやってくる。 そうなった際には、混合診療の規制問題の議論は避けられない。

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上氏は、「負担を増やして給付を削減する」と混合診療解禁を分離して別個の政策に分けることで詭弁を弄しているのである。 ようするに、長期的効果は「負担を増やして給付を削減する」政策によるものであって混合診療解禁によるものではないから、混合診療解禁による短期的効果の方だけを説明しているのだと主張しているのである。

しかし、それは明らかにおかしい。 全く別々に実施できる2つの政策であれば、両者を別個に論ずることは妥当であろう。 しかし、形式的には2つに分類しようともそれが実施上は分離できない一体不可分の政策であるなら、聞き手の関心は一体の政策全体として国民にどう言う影響を及ぼすかであろう。 上氏の言う通りに「有効性が証明されても」「保険収載できない日がやってくる」ことが「混合診療の規制問題の議論は避けられない」理由となるのであれば、「負担を増やして給付を削減する」政策をやめれば混合診療解禁を導入する必要なくなる。 また、混合診療解禁によりお金さえ出せば治療を受けられることが「負担を増やして給付を削減する」ことを正当化するなら、混合診療解禁のない単独での「負担を増やして給付を削減する」政策もあり得ない。 であれば、明らかに、「負担を増やして給付を削減する」と混合診療解禁は一体不可分である。 それなら、聞き手の関心を無視して、一体不可分の政策の一方のみを分離して他方の政策の影響を無視するのは明らかに詭弁であろう。

また、「あまりに高額な薬剤は、保険収載できない」ことは、大きく分けて、承認された「保険収載」しないことと、製薬会社が申請してこないことの2つによって生じる。 承認された「あまりに高額な薬剤」を「保険収載」しないことは、混合診療解禁とは完全に独立して実施可能である。 一方で、製薬会社が申請してこない原因は、承認されても「保険収載」が見込めないことと、「保険収載」されても期待する利益が得られないと判断できることの2通りがある。 うちの後者は、混合診療解禁によって新規医療や新規医薬品の承認インセンティブが減少することによるものである。 混合診療解禁が「負担を増やして給付を削減する」にも少なからず影響するのだから、両者を完全に分離することはできない。

そもそも、上氏は、2つを政策を分離して論じていない。 上氏は、「あまりに高額な薬剤は、保険収載できない日がやって」きた以降の話として短期的効果についてのみ論じているわけではなく、混合診療解禁が必要となる理由として長期的効果を最初に語っている。 つまり、上氏は、「公的医療保険や税金からの費用支出」に関する時だけ一体的政策として説明しながら、患者の負担の話になった途端に片方の政策しか説明せずに他方の政策を完全に無視するのである。 これが詭弁でなくて何なのか。 さらに、上氏は、短期的効果については、患者の負担にのみ言及して、「公的医療保険や税金からの費用支出」には一切言及していない。

このような詭弁を弄しているからこそ、「負担を増やして給付を削減する」政策ではない側の政策に限定した話として、長期的効果が発生するのは「検証されていない仮説に過ぎない」と主張できるのである。 しかし、聞き手の関心としては、「負担を増やして給付を削減する」と混合診療解禁の一体的効果として長期的効果が生じるかどうかなのである。 そういう意味では、混合診療解禁に関する一体不可分の政策が「負担を増やして給付を削減する」ことは、「検証されていない仮説に過ぎない」どころか、上氏自身も認めた真実である。

現行の保険外併用療養費制度は、限定的に混合診療を認めた「特区」のような存在だが、これによって医療費が膨張したというデータはない。

なぜ国は混合診療を認めないのか? - 時事オピニオン

「製薬会社も金のかかる臨床試験をやめて自由診療で済まさせようとする」ことは、既存の医薬品には影響しないから、混合診療が全面解禁されても、それにより「患者負担が不当に広が」るには長い時間を必要とする。 だから、「限定的に混合診療を認めた『特区』のような存在」で短期的な計測をしても「医療費が膨張したというデータはない」のは当然であり、そのことは何ら上氏の主張を裏付けない。

安全性 

混合診療の規制緩和を、安全性の側面から懸念する人もいる。厚生労働省は「保険診療はそれだけで完結しており、対象外の診療が加わると、治療の効果に影響が出るおそれがある」とコメントしているが、これも説得力がない。

たとえば、未承認薬の個人輸入に対する対応だ。 財団法人医療科学研究所の辻香織氏は、海外で実績を上げている未承認薬を個人輸入するための許可証である薬監証明を用いて、その利用状況を調査した。 2005年と少し古いデータだが、私の知る限り未承認薬の個人輸入実態を網羅的に調査した、唯一の研究だ。 辻氏によれば、05年には1万2196件もの個人輸入があった。

厚生労働省は、混合診療は厳密に規制するのに、未承認薬の個人輸入は野放しである。 海外における有効性、安全性の情報さえ提供していない。 実際、05年には個人輸入で使われた、未承認の抗がん剤「ベルケイド」(一般名ボルテゾミブ)の副作用が問題となった。 未承認薬を単独で使うぶんには安全性を問わず、保険診療と併用する場合だけ「評価しなければならない」という主張はおかしい。

なぜ国は混合診療を認めないのか? - 時事オピニオン

「薬監証明を用いて、その利用状況を調査した」「未承認薬の個人輸入に対する対応」とやらは、自由診療の問題であって混合診療の問題ではない。 医薬品等の輸入について - 関東信越厚生局によれば、薬監証明を取得するには「医師からの処方せん又は服用(使用)指示書」が必要とされる。 一方で、保険医療機関及び保険医療養担当規則第十九条によれば、保険医は「厚生労働大臣の定める医薬品以外の薬物を患者に施用し、又は処方してはならない」となっている。 「厚生労働大臣の定める医薬品以外の薬物」を輸入するために処方せんを得るためには、自由診療を受けなければならない。 つまり、現状では病院で未承認医薬品を使ってもらうことも、「未承認薬の個人輸入」も、どちらも全く同じ自由診療である。 だから、「未承認薬の個人輸入は野放し」と表現するなら、病院で未承認医薬品を使ってもらうことも「野放し」なのである。

混合診療禁止論は、自由診療の性質、すなわち、国が効果や安全性を担保しない治療法であることを問題視しているわけではない。 混合診療禁止論は、混合診療では自由診療3条件を担保できないことを問題視しているのである。 だから、国が効果や安全性を担保しない治療法であることによって生じる「未承認の抗がん剤」の「副作用が問題」は混合診療の問題ではない。

現状では、薬監証明を取得するには、自らの意思で自由診療を受けなければならない。 それならば、当然、国が効果や安全性を担保しない治療法であることを知っているはずであり、その意味を理解していないはずがない。 さらに、自発的意志で選択していることも明らかである。 自由診療3条件を担保できない限り禁止するという点では、混合診療も個人輸入も同レベルの規制が為されているのである。 よって、「混合診療は厳密に規制するのに、未承認薬の個人輸入は野放し」は、個人輸入代行業の指導・取締り等についてに書かれているような違法な輸入ではない限り該当しない。

もちろん、違法な輸入の存在は、混合診療解禁論の根拠とはならない。

ドラッグラグ・未承認薬 

一部の患者団体は「混合診療を認めると、ドラッグ・ラグ(海外で新薬が承認されてから日本で使用できるようになるまでの時間差)が悪化する」という。 その理由は、海外の製薬会社が開発・販売している新薬が、日本で承認薬として国内開発されなくなるからだという。

しかしながら、これも杞憂(きゆう)だ。 前述の辻氏の調査によれば、個人輸入上位の55薬剤7141件のうち、44薬剤(80%)4713件(66%)が未承認薬だった。 44の未承認薬の大部分は、欧米で最近10年以内に承認された新薬であり、すでに21薬剤3804件が日本での承認・申請段階に移行していた。

つまり個人輸入薬の多くは、日本でも開発後期であった。 製薬会社が利益を追求するなら、患者にとって手間のかかる個人輸入に頼るより、高い売り上げが期待できる保険収載を望むのは当然だ。

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先ほども説明した通り、「薬監証明を用いて、その利用状況を調査した」「未承認薬の個人輸入」とやらは、自由診療であって混合診療ではない。 自由診療は現状でも禁止されていないから、これは自由診療が禁止されない現状でどの程度のドラッグラグ・未承認薬問題が生じているかを示しているに過ぎない。 このことから混合診療解禁による影響を解析することは不可能である。 また、現状を示す話としても、「大部分」などという定性的な表現だけであり、「44の未承認薬」の欧米との承認期間差の内訳が示されておらず、全くデータとして意味を為さない。 これをもって「杞憂(きゆう)」と表現するのなら、それは科学的根拠を無視した非科学的な感想である。

経済学の常識があれば、「利益を追求する」ことが「高い売り上げが期待できる保険収載を望むのは当然だ」にならないことは当然分かることである。 何故なら、「利益を追求する」企業が重視するのは利益を得るための効率だからである。 「高い売り上げが期待できる」としても、その利益効率が悪かったり、失敗するリスクが一定程度あれば、「利益を追求する」企業は敬遠する。 本当に「利益を追求する」はずの製薬会社が「高い売り上げが期待できる保険収載を望む」のであれば、現状のドラッグラグ・未承認薬問題が発生しているはずがない。 上氏も以前はドラッグラグ・未承認薬問題についてそういう指摘をしていたはずである(MRIC 2009年 vol 244)が、すっかり忘れてしまったのだろうか。 そして、現状よりも保険収載の旨味が減る(保険収載前後の利益の差額が減る)制度を導入すれば、現状よりも悪化することは子供にでもわかる話である。

そもそも、製薬会社がいくら「高い売り上げが期待できる保険収載を望む」としても、上氏の主張するように「有効性が証明されても」「保険収載できない」のであれば、高いお金を掛けて治験を行う意味がなくなるので、「日本で承認薬として国内開発されなくなる」のは明らかである。 このように上氏の主張は明らかに自己矛盾している。

尚、上氏は「一部の患者団体は」と、あたかも、多くの患者団体がドラッグラグ・未承認薬問題の悪化の懸念を表明していないかのような口ぶりである。 しかし、患者団体は混合診療“原則”反対に書いた通り、最大の患者団体を自称する日本難病・疾病団体協議会も限定的解禁を求めるがん患者団体も全面解禁による同様のリスクを主張している。 上氏には、ドラッグラグ・未承認薬問題の悪化の懸念を表明しない患者団体を挙げてからこうした主張をしてもらいたい。


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