国民皆保険制度と混合診療の基礎

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向こうの主張が致命的におかしい所を挙げたら、この指摘があまりに的を射すぎたのか、向こうは尻尾を巻いて逃げてしまった。

中身のないことを延々書いておきながら勝利宣言。 こっちがあきれて相手にしていないだけなのに、こういうレベルの低い馬鹿は相手が反論しなくなっただけで議論に勝ったと思い込みたいらしい。

どっちが勝ったかなんて読む側が決めることだ。

混合診療というTPPおばけ - 日本経済をボロボロにする人々

ほら、やっぱり、「向こうの主張が致命的におかしい所」には一言も触れていない。 相変わらず「中身のないこと」「読む側が決めること」等の抽象論で誤摩化している。 散々相手にしておいて「相手にしていない」では言ってることが支離滅裂である。

「尻尾を巻いて逃げてしまった」が意味することは、「どっちが勝ったか」ではなく、そうした都合の悪いことを無視する姿勢のことである。 逃げだしておいて「どっちが勝ったかなんて読む側が決めること」では負け犬の遠吠え以外の何物でもない。

彼の姿勢は、初めから逃げ一辺倒であった。 彼の主張の主たる内容は、簡潔な説明には「説明が曖昧で根拠薄弱」、丁寧に説明すると「長々と長文を読む気はしない」である。 つまり、簡潔な説明にも、丁寧な説明にも、彼は、常に、逃げ一辺倒なのである。 彼こそが言い訳だけの「中身のないこと」を延々と書いていたのであるし、今回もそうである。

それにしてもトラックバックを消したことを根に持っているようだ。 同じ内容のトラックバックを何回も送られて来たらほとんどの人は荒らしとして削除する。 この馬鹿は自分が荒らしだという認識がなく、俺以外の他の人から無視されている理由もわかっていないようだ。 自分が連続で同じトラックバックを送っても何とも思わない精神異常者だということに気づくことから始めるべきだろう。


同じ内容のトラックバックを何回も送ったあげく、その荒らしみたいなトラックバックを消した行為を逃げと決めつける精神。

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彼は、トラックバックが何か理解せずに荒らし認定しているようである。 トラックバックとは単に関連する記事の存在や改訂を知らせる機能でしかない。 トラックバックを自動的にブログのリンクに反映するかどうかはブログ開設者の自由である。 また、自動反映の結果、同一リンクが複数発生するのは、その機能の不備であろう、 自分のブログの機能の不備を理由に改訂トラックバックを送ってほしくないなら、一言、そう断れば良いだけである。 しかし、彼は、改訂トラックバックの度に、反発記事(反論になっていない)を追記するものの、改訂トラックバックを送るなとは一言も言わなかった。 受け入れたような素振りを見せながら後になって荒らし認定するのであれば、後付けルールの濫用で逃げたと後ろ指を指されても仕方のない行為だろう。 そもそも、「追記:おかしなトラックバックを貼り付けて切った方がいたので追記」以下の記載を残しておいて、逃げる言い訳に荒らし認定を使うのではダブルスタンダードも甚だしい。 百歩譲って、「追記」以下を綺麗サッパリ消してしまうなら、それ以前の言動を無視すれば、「荒らしとして削除」という言い分も分かる。 しかし、「追記」以下を残しておきながら、トラックバックのリンクを一つも残さないのでは、リンク先を見られたくないがための言い訳にしか聞こえない。

俺を彼呼ばわりする(←ようは自分が目上でどうしても見下したいことを文章で表したいだけの馬鹿)のだからいい年齢のはずだ。

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どうやら、基本的な日本語が不自由な人だったらしい。 それでは言葉が通じないのも当然だろう。 「彼」は目下を意味する表現でも見下した表現でもない。 念のために辞書を調べてみたが、男性をさす三人称の人代名詞 彼 - goo辞書 話し手・聞き手以外の男性をさし示す 彼 - エキサイト 辞書 であって、目下の意味も見下した意味も見当たらない。 「彼奴」には侮蔑に意味があるが「彼」にはない。 日本人でないなら日本の制度に口出ししないでもらいたい。

何歳かは知らないが、いつまでもガキみたいなことをやっている自分を恥と思う精神から身につけるべきだろう。

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逃げ回りながら言い訳だけに固執してブログに「中身のない」誹謗中傷を追記する方こそ「ガキみたいなこと」である。 「自分を恥と思う精神」が身についている人は、このような見苦しい言い訳を並べない。 何か言うなら、せめて、一言くらい反論したらどうだろうか。 そろそろ、「いつまでもガキみたいなことをやっている自分を恥と思う精神」を身につけてはどうだろうか。

向こうの主張が致命的におかしい所を挙げる。

  • 当方の主張を正しく例えると「自動車を否定」ではなく規制撤廃の否定である。そちらは「200キロでぶっ飛ばす人物がいる」ことを理由に対案もなく規制を撤廃すべきと主張している。
  • 「国の予算が無くなれば」「今までの診療方法がなくなるわけではない」「勝手に想像で決めつけて健全化できると思い込んでいる」は矛盾している。
  • 長文で書くな、短文で書け、と言うなら、関係ない話に論点を逸らすな。
  • 他人の意見には根拠を求めておきながら、自分は何ら根拠も示さず「そうでないかもしれない」と主張するのは詭弁である。
  • 誰も言ってないことに対して反論されても何も答えようがない。

それにしても見事な粘着ぶりだ。 そして相変わらず言い訳のオンパレードで反論にもなっていない。 はっきり言って話にならないことを理解できていないようだ。

お笑いなのは相変わらずリンク先貼って自己満足してお終いなところだろう。 曖昧な説明で勝った気になれるのは都合のいい頭をしていて羨ましい限りだ。

反論しない方こそ「言い訳のオンパレードで反論にもなっていない」し「はっきり言って話にならない」。 お笑いなのは相変わらず断定だけ並べて自己満足してお終いなところだろう。 「曖昧な説明」と言い張れば「勝った気になれるのは都合のいい頭をしていて羨ましい限り」だ。 「面倒だから直接必要な部分だけ抜き出せばいい」と言うから、最新まとめにピックアップしたが、それすら無視している。 致命的な矛盾を指摘され、かつ、「今までの診療方法がなくなるわけではない」という結論に重大な影響を与えるにも関わらず、反論もせずに3行の悪口の言うのが関の山のようだ。 当方の反論を見られては困るのか、トラックバックも消している。 主張に自信があるなら他人に両方見て判断してもらえばいいのに。

自分がもはやストーカーと化しているのにも気づいていないようだ。 それにしても屁理屈しか返せないくせに負けず嫌いなところは菅原と同レベルだ。

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屁理屈も返せずに文句しか言えない彼は、それ以下である。 「主張に自信があるなら他人に両方見て判断してもらえばいいのに」と言われてもトラックバックを消すのだから、ちゃんとまとめた反論を見られるのは都合が悪いのだろう。 とくに、反論しようがない「国の予算が無くなれば」「今までの診療方法がなくなるわけではない」「勝手に想像で決めつけて健全化できると思い込んでいる」の決定的矛盾は誰にも見られたくないものと思われる。

回答停止中 

以下は、向こうからの回答が停止しているものである。 議論の流れが分かりやすいよう引用ツリーで記述し直した。

じゃあ医療格差が生まれると何が問題なのか? 今までできなかった新しい診療を受けられる人が増えるというだけのことであって、今までの診療方法がなくなるわけではない。 金がある人は保険外の診療を受けられてメリットがあるし、金がない人も今までの診療が受けられなくなるわけではない。

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混合診療では「今までの診療方法がなくなる」のである。 「今までできなかった新しい診療を受けられる人が増えるというだけ」ではない。 この点は、禁止派が何度もしつこく説明していることである。 混合診療解禁によって次のような事項が保険診療を改悪する方向への影響を与えることは多くの禁止派が説明している。

  • 必要な医療を保険で賄う原則の崩れによる保険充実圧力の弱体化

これに対して曖昧以外の解答はない。 全然具体的ではなく根拠も何もない想像で弱体化すると勝手に決めつけているだけに過ぎない。

どうやら「保険診療を改悪する方向への影響」の意味が理解できていないようだ。 その前に、混合診療では「今までの診療方法がなくなる」とハッキリと書いてある。 つまり、「保険診療を改悪する」=「今までの診療方法がなくなる」である。

混合診療を受けられない人にとっては、受けたい診療は保険診療で賄わなってもらわねば困る。 しかし、混合診療を受けられる人達にとっては、保険診療である必要性は薄れる。 そうなれば、患者達の保険充実圧力は少なからず弱体化する。 これは、そちらが出した「今までできなかった新しい診療を受けられる人が増える」から当然導き出される帰結である。

もはやここまでくると結論ありきの決めつけでしかない。 混合診療がどうして今までの診療方法が無くなるのかを全く書いていない。 書いているとことと言えば、混合診療を受けられる人たちにとっては保険診療である必要性は薄れる。 そうすると患者たちの保険充実圧力が薄れるからなのだそうだ。

こういう説明だと根拠薄弱だからいくらでも拡大解釈が可能で結局曖昧でしかない。 つまりそうならなくては困るからそういう方向に解答が出るような解釈しかしていないのだ。

根拠を除外して結論部分だけを引用すれば「結論ありきの決めつけ」なんていくらでも言える。 引用部は文意の誤解を正している部分であって、そこで説明した表現の真偽を論じている部分ではない。

反論せずに「根拠薄弱」と言うだけならいくらでもできる。 「政治家・財務省等からの医療財源圧縮圧力の強化」と「承認コストを削減し薬価を高くしたい製薬会社」も無視している。 ハッキリ言ってそちらは全く議論をしていない。

そして保険がきく範囲内の治療を選ぶか否かは患者が決めることで医者が治療方法をなんでも決めるわけではない。 どうやらこの人は保険内診療と保険外診療を患者が選ぶ権利がないと思い込んでいるようだ。 まあ説明が曖昧で根拠薄弱だからどういう解釈で弱体化の解答が出てきたのかはさっぱりわからない。

誰が何処でそんなことを言っているのか意味不明。

何の説明なしに意味不明。便利な言い訳だ。

そちらの妄想部分については記載済み。 その妄想が何処から出て来たのか知りようがないから説明しようがない。 誰も言ってないことに対して反論されても何も答えようがない。 元の発言のない反論を出すのは詭弁の一種である。

  • 政治家・財務省等からの医療財源圧縮圧力の強化

政治家・財務省等からの医療財源圧縮圧力の強化。 これも曖昧で何が言いたいのかさっぱりわからない。 どうにでも後から解釈が可能でいくらでも言い訳ができるように書かれている。

そんなことも知らずに混合診療論を論じていたとは呆れる。 医療支出を減らさなければならないと主張しているのは誰か。 これは蚊帳の外の第三者の話ではなく、実際の当事者のことを言っている。 厚生労働省は予算がつくなら支出を惜しむ理由はない。 直接的に減らしたがっているのは財務省である。 そして、他に予算をまわしたい、あるいは、他の予算を減らしたくない政治家達(背後にいる支持者含む)である。 これは医療財源の奪い合いに関する知識として常識レベルのことである。

最初からこのように詳しく説明すればいい。 政治家・財務省等からの医療財源圧縮圧力の強化だけではどうにでも解釈が可能な曖昧な短文しか書かないから誤解されるのだ。

そちらの理解が足りないだけだろう。 それで、反論しないということは、政治家・財務省等からの医療財源圧縮圧力の強化は認めたということか。 認めたなら、どうして無視するのか。

  • 医療費抑制圧力からの開放を求める営利企業の意向

医療費抑制圧力からの開放を求める営利企業の意向。 これは一つのやり方だし価値観の問題だ。 金持ちだろうが貧乏人だろうがみんなが同じ医療しか受けられないことが正義だという価値観があるのなら、それはそれで否定はしない。 一つの考え方だしキリスト教徒にイスラム教を押し付けるようなもので、一応尊重はする。 保険外診療なら多少治る確率があったとしても、それは認められないから死ね。 これはこれで一つの考え方だ。無理やり長生きさせることが善だとは思わない。

「営利企業」って読めないの? というより、どうして、前後と話が繋がらない解釈ができるのか意味不明。 これは「みんなが同じ医療」を受けるべきかどうかとは関係ない。 選択肢の問題とも「価値観の問題」とも違う。 「今までの診療方法がなくなる」方向への影響となる一つの要因を論じているのに、どうして関係ない話になるのか意味不明。

日本の保険診療は医療費がかなり安く抑えられている。 一方で、原則、保険外診療の米国の医療費はかなり高い。 米国+医療費等で検索すれば、いくらでも情報が出てくるだろう。 それくらい常識。 保険会社にとっても、製薬会社にとっても保険外診療の方が儲かる。 というより、保険診療だと保険会社に参入する余地がない。 そして、日本の国民皆保険下の医薬品の開発コストが米国よりも高くなることはドラッグラグ・未承認薬に解説してある。 営利企業にとってはできれば日本の保険診療なんてやりたくない。 保険外診療の方が儲かるのだから、高いコストを掛けて承認申請なんてしたくないし、保険診療にして薬価を下げたくもない。 これも混合診療問題を語るに当たっては常識。 知らない人のためにドラッグラグ・未承認薬にも解説してある。

  • 患者からの要望は弱まる
  • 政治家、役人は予算を減らしたがる
  • 営利企業は儲からない保険診療を嫌がる

これでどうして「今までの診療方法がなくなるわけではない」と断言出来るのか。

面倒だから直接必要な部分だけ抜き出せばいいものを。 短文への反論のために超長文を読んでやるほど気は長くない。

元の文章と比べてそれほど長くはない。 その元の文章は妄想的解釈に対する反論で全く意味がない文章である。 意味のない無駄な文章を書く者には反論に必要な長文を批判する資格はない。 反論できないから言い訳しているのだろう。

安全性についても議論にするのは意味がわからない。 保険が適用される診療だって絶対に安全なものではないのに、どうして保険外診療の安全性を問題にしたがるのか。 ようはこれもTPPに反対するための理屈でしかないのだ。 反対するための理由を論理的にではなく感情的に作り上げる一つの神話でしかない。

「意味がわからない」のに調べもせずに否定することこそ感情論であろう。 「保険が適用される診療だって絶対に安全なものではない」と「保険外診療の安全性」は全くの別問題である。 何故なら、100%の安全性が保証できないことは、安全性を疎かにして良い理由にはならないからだ。 100%の安全性が保証できないからこそ、少しでも安全性を高める努力が必要なのである。 そして、国が管理する保険診療の枠組みでは、安全性を高める努力が可能なのである。

もしも、保険診療の安全性と保険外診療の安全性を定量的に比較して、両者が大差ないと結論づけるなら論理的には正しい。 しかし、保険診療と保険外診療の比較をしない(保険外診療の安全性には一言も触れない)のでは論としての体を為さない。 保険診療の「絶対に安全なものではない」も、10%の危険性なのか、1%の危険性なのか、0.1%の危険性なのか、0.01%の危険性なのか、全く定量的に論じていない。 これでは禁止論に「反対するための理由を論理的にではなく感情的に作り上げる一つの神話」でしかない。

上は、保険が適用される診療だって絶対に安全なものではないのに、どうして保険外診療の安全性を問題にしたがるのか。 という問いに答えたものだが、100%の安全が保証ができないことは、それをおろそかにしてよいという理由にならないからだ。と答えている。

そもそも保険内診療だって100%は有り得ないのに何が言いたいのか本当に理解不能だ。 これを理解しろという方が無理がある。 で、詳しく(?)以下に理由が述べられている。


定量的に%で論じていないから感情的だと言いたいようだが、俺は医療の専門家ではないし、病気や症状によって確率なんて変化するのにどうやって数字化しろというのだろうか? それならそっち側が曖昧のない数字を出して反論すればいい。 どの病気がどれだけこの診療方法で何%の確率で治るのか。 末期症状か初期症状かの違いの確率も全部出してくれて混合診療が明らかに良くないのなら納得もする。

「定量的に%で論じていないから感情的」なのではない。 比較しなければ論じられないことなのに、比較せずに物を言ってることを批判しているのだ。 噛み砕かないと分からないようなので、細かく説明する。

仮に、保険診療の安全性が90%だとしよう(実際よりかなり低く見過ぎ)。 そして、保険外診療の安全性が50%だとしよう(これより危険な物は沢山ある)。 それで「90%の安全性を問題にしないのに50%の安全性を問題にするのはおかしい」は正論と言えるか。 そんなはずはない。 10%の危険性を許容できたとしても、それは、より大きい50%の危険性を許容する理由にはならない。 「絶対に安全なものではない」として保険診療を引き合いに出すのは、同程度以上の安全性の物を論じる時にだけ通じる理屈である。 保険診療が「絶対に安全なものではない」という理由で保険外診療の安全性を問題にしなくて良いと言えるなら、この世に「絶対に安全なものではない」物がありさえすればどんな危険も容認しなければならなくなる。 そんな馬鹿な理屈はあり得ない。 つまり、「100%は有り得ないのに何が言いたいのか本当に理解不能」とはこちらの言い分である。 「100%正しい規制も存在しない。これを理由に混合診療を否定していたら物事は簡単に進展しない。」はブーメランでそちらに跳ね返る言い分である。 言い替えると、保険診療が「絶対に安全なものではない」云々は、根拠になっていない全くの詭弁なのだ。

混合診療を問題視してきた方こそがどの程度危険なのかを示すのが筋だろう。 そして数字を出せと最初に言ってきたのは俺ではない。

「今までの診療方法がなくなるわけではない」と断言したのはそちらの方であろう。 当方は、それに根拠がないと指摘しているだけに過ぎない。 ならば、根拠を示すべきなのはそちらである。 そちらは、保険診療の充実に対して、プラス要因が0、マイナス要因が少なからずある、という事実に反論できていない。

屁理屈はいいから混合診療の何がどう問題なのかを具体的に示せばいい。 薬がなんだの圧力がどうだので説明した気になっているようだから理解されないことを理解できないようだ。

反論せずに屁理屈を並べているのはそちらである。

競争原理が機能するのは、情報の対称性が保証されている分野に限られる。 医療者と患者の情報の非対称性により、医療の安全性と有効性には競争原理が働かない。 医療業界が自由競争ではうまくいかない理由 - NATROMの日記と読むと良いだろう。

確かにいい医者を見つけるのは楽じゃないし困難だろう。

「情報の非対称性」は読んだのか? NATROM氏は、その意味を丁寧に説明してくれていたはずだ。 それを理解していたなら「確かにいい医者を見つけるのは楽じゃない」という答えが返ってくるはずがない。

まさかいちいちリンク先を読んでやるとでも思っているのだろうか? 普通は必要な部分を抜き出してその場で説明するものだ。 手抜きで怠けておきながら何を偉そうに書いているのか。 相手に理解させようと思ったら長文のリンク先を貼るだけなんてことは普通はやらない。

知識のないものが混合診療を語るならば、リンク先の記述はほぼ全て「必要な部分」である。 必要な知識を学ぶ努力をせずに偉そうに言っているのはそちらである。 「手抜きで怠けておきながら何を偉そうに書いているのか」はそちらのことである。

国の管理の目の届かない保険外診療について、患者の目で真贋を見極めるのは極めて困難なのだ。

これは保険による診療も同様で、本当はとんでもない病気なのにただの風邪と診断する医者だって多い。 保険の適用範囲内の手術だって失敗して死んだ人もいる。 これは保険内だろうが保険外だろうが同じことだ。

「ただの風邪と診断する医者だって多い」「保険の適用範囲内の手術だって失敗して死んだ人もいる」も安全性の話と同じで比較論がないのでは詭弁だ。 1例2例の特殊事例を挙げても、安全性の比較にはならないから、「保険内だろうが保険外だろうが同じ」とは言えない。

それに国が管理する保険診療の枠組みでは、安全性を高める努力が可能なのである。 と決めつけたのはどこのだれか。 根拠薄弱で証拠がないから事例を挙げたまでだ。 しかも特殊事例ではなく町医者ならしょっちゅうあることだ。 同じとは言えないのは勝手な決めつけで最初から結論ありきに誘導しているに過ぎない。

「同じとは言えないのは勝手な決めつけ」とまで言う馬鹿は珍しい。 「それに国が管理する保険診療の枠組みでは、安全性を高める努力が可能」が決めつけであるならば、国の薬事承認制度等は安全性向上に全く役に立ってないことになる。 そこまで馬鹿な主張をするのであれば、その根拠を示すべきだろう。

「町医者」とやらは、患者を何人殺しているのか。 「町医者」とやらは、重大な健康被害をどれだけ出しているのか。 そんなことが「しょっちゅうある」のならば大問題になっているはずだ。 「しょっちゅうある」のにソースも示せないのでは話にならない。

せっかくだから、具体例も示しておこう。 イレッサの副作用死では多数の被害者が出たが、数例の死亡報告を元に緊急安全性情報が出され、それに伴うマスコミ報道などもあったため、以降の死者数は大きく減った。 製薬会社は死亡例を報告期限ギリギリに厚生労働省に報告したそうだが、それでも、緊急安全性情報が出たから死者数は減った。 国の管理下になければ、報告義務もないから、緊急安全性情報は出ない。 緊急安全性情報が出なければ、マスコミが実態を把握するのは、死者がかなり増えてからになるだろう。 このようなイレッサの事実を見ても、国が管理するかどうかで安全性が変化しないと言い張るのだろうか。

危険な治療法やインチキは個別に禁止すれば良いという者もいる。 しかし、個別に禁止する方法では、次から次へと生まれるインチキ療法に柔軟に対応出来ない。 現状でもイタチごっこになっているし、禁止された行為ですら違反事例が後を絶たない。 役に立たない規制を改革しろと言うなら、規制を機能させる具体的方法を提案しなければ机上の空論である。

確かにその通りで、危険な治療法や詐欺まがいの治療が蔓延されたら困る。 しかし、100%正しい規制も存在しない。 これを理由に混合診療を否定していたら物事は簡単に進展しない。 法律で禁止されても高速道路を200キロでぶっ飛ばす人物がいるように、規制しても違反者は確実に出るだろう。 だからと言って火事の原因になるからって火そのものを否定したら文明なんて生まれない。 交通事故の原因になるからって自動車を否定しても仕方がない。

「高速道路を200キロでぶっ飛ばす人物がいる」ことと「自動車を否定」は全然違う。 「自動車を否定」してはならないことは「高速道路を200キロでぶっ飛ばす」ことを肯定する理由にはならない。 「高速道路を200キロでぶっ飛ばす」「危険な治療法や詐欺まがいの治療」をさせないようにすることが必要な規制である。 「危険な治療法や詐欺まがいの治療」を否定することは医療を否定することではない。

高速道路の速度制限をなくせと言うなら危険な運転をなくす対案が必要だ。 混合診療を解禁しろと言うなら「危険な治療法や詐欺まがいの治療」を防ぐ対案が必要だ。 対案も示さずに「これを理由に混合診療を否定していたら物事は簡単に進展しない」というのは詭弁である。 解禁派は対案を示さないが、限定解禁派はちゃんと対案を示している。

ものの例えをどうやら理解できなかったようだ。

その例えの間違いの指摘をどうやら理解できなかったようだ。 元の話は「危険な治療法やインチキ」を否定したのであって、治療全般を否定したものではない。 例えで言うなら、高速道路上の危険行為を否定したのであって、自動車を否定したわけではない。

また、「規制しても違反者は確実に出る」ことは規制を否定する理由にならない。 規制によって違反が大幅に減るのであれば、「違反者は確実に出る」としてもその規制の必要性は否定できない。 そこで問うべきことは、もっと違反者を減らすにはどうすべきかである。 そこで速度規制に取って変わる別の方法を提案するなら分かるが、「違反がゼロにならないから規制を撤廃しよう」なんて馬鹿なことを言う奴はいない。

「国民皆保険制度が無くなるわけではなく」なのに「実質崩壊」とはこれ如何に? 国民皆保険制度の「実質崩壊」とは何を意味するのか。 財政危機にあるとは言われているが、未だ、国民皆保険制度は機能しており崩壊はしてはいない。 ドラッグ・ラグや未承認薬があることを指すなら、それは制度改革により改善できる問題であって、崩壊と言える状況にはない。

何を持って実質崩壊とするかは価値観の問題である。 今のように赤字国債を大量発行して無理やり社会保障制度を維持しているのを俺は実質崩壊と解釈しているだけで、国民皆保険が無くなるわけではないから実質崩壊ではないと言わればそれまでだ。 価値観の問題でしかない。 ドラッグ・ラグの話では無論ない。

「価値観の問題」とやらはどうでもいい。 「実質崩壊」とやらは何の根拠にもなっていない。

どうでもいいそうだ。公的保険の崩壊の解釈なんて人それぞれであるにも関わらずどうでもいい。 まあそれも価値観の問題だから俺もどうでもいい。

「どうでもいい」のは、「何の根拠にもなっていない」と明確に書いてあるように、ここまでの議論とは全く関係ないからである。 長文で書くな、短文で書け、と言うなら、関係ない話に論点を逸らすな。

仮に、これを「崩壊」と定義したとしても、未だ完全に「崩壊」していない以上、「実質崩壊」はこれ以上「崩壊」が進まない根拠にはならない。 そして、混合診療によってさらに「崩壊」が進むことは禁止派がしつこく説明した通りである。

いずれにしても今のままの制度は維持不可能で、制度改革、つまり医療費負担の割合の増加は必要になる。 それが嫌ならば保険料を上げるか税金を引き上げるか無駄を減らして医療費につぎ込むしかない。

それについては対案提示済み。

(回答なし)

回答なしのため放置。

じゃあ混合診療で国民皆保険が崩壊するという屁理屈もどうかと言えば、これも何ら根拠がない。 混合診療を解禁したからって、もうすでに実質崩壊している国民皆保険制度が無くなるわけではなく、今までの保険適用の診療が無くなるわけではない。 どうして混合診療になると国民皆保険が崩壊するのかを曖昧なく解答しているサイトは見たことがないのを見れば、ただの感情的な理屈でしかないのがよくわかる。

混合診療解禁によって次のような事項が保険診療を改悪する方向への影響を与えることは多くの禁止派が説明している。

  • 必要な医療を保険で賄う原則の崩れによる保険充実圧力の弱体化
  • 政治家・財務省等からの医療財源圧縮圧力の強化
  • 医療費抑制圧力からの開放を求める営利企業の意向

いずれも、定量的にはどの程度の影響になるかは定かではないが、保険診療を改悪する方向となることは明らかである。 これに対する反論と言えるものは、荒唐無稽な自己矛盾だらけの両立論だけである。 これら禁止派の主張に対して「曖昧なく解答しているサイト」こそ皆無なのである。

このように曖昧そのもので解答していながら相手を荒唐無稽の自己矛盾だらけと主張している。 ほかの主張を見ても混合診療を反対するための屁理屈だらけであり、ただ文句を言いたいだけの典型的である。

いくら読んでも混合診療に反対している真の理由が全く見えてこないのは想像通りだが、他のいろんな部分を読んでも曖昧で勝手に結論づけている。

解禁派の言動を「探しもせず(あるいは、見つけても見なかったことにして)」だと書いたが、実際には後者だったようだ。 明確に書いてあることでさえ「いくら読んでも」「全く見えてこない」らしい。 相手の具体的指摘に対して「反対するための屁理屈」「文句を言いたいだけの典型的」「全く見えてこない」「曖昧で勝手に結論づけている」というだけで反論になるなら、何とでも言える。 彼の主張が反論だと言うなら、当方も、彼と同じことをし返せば反論になるのか。

解禁反対派の明確に書いてあることとは何だろうか? 定量的じゃないから反論になっていないと言いながら、じゃあ定量的に答えているかと言えば明らかにノーだ。 曖昧にしか書いていないし片方だけを見て別の方向から光を当てることもない。 つまり思考が偏っていていいところと悪いところを見ているのではなく、とにかく混合診療に対して悪いところしか見ようとしていない。 そこに論理の何もないことに気づいていないようだ。

「定量的じゃないから反論になっていない」とは誰も言っていない。 自分の理解の足りなさを「曖昧」「論理の何もない」と表現するのは適切ではない。 「混合診療に対して悪いところしか見ようとしていない」というのも全く事実無根である。 そちらが混合診療の良いところしか見ようとしていないから、こちらはそれを批判しただけである。 混合診療に何の問題がないかのような認識が間違っているのである。

事実無根ではなく事実である。 最初から全否定するための論理構築しかしていないことに気づいていないようだ。 こっちはそっちのおかしなところを指摘しているだけで悪い部分なんてもちろん見ていない。 そっち側が示す悪い部分がちゃんちゃらおかしいから反論しているだけだ。

「事実である」と言うなら、当方が混合診療の良い所を否定した部分を具体的に引用すればいい。 引用せずに言っても捏造にすぎない。 「ちゃんちゃらおかしい」と言いながら一言も反論ができないのでは、それこそ「ちゃんちゃらおかしい」。

まず、彼は、自己矛盾と指摘した根拠を完全に無視している。 具体的根拠はこのページにも「保険充実が困難だから混合診療の必要性が出てくるのであって〜原理的に不可能である。」ハッキリと書いてあるはずだ。 「金がある人は保険外の診療を受けられてメリット」が生じるならば、それは現状で保険充実が困難である証拠である。 保険充実に逆行する政策を実施しながら、現状が全く悪化しないとする根拠は何か? 混合診療解禁が求められる背景を勉強してから物を言うようにも書いたはずだが、それすら無視するのだろうか。

すべての自由診療を保険として認めたら財政はあっという間に崩壊することになる。これはその通りだ。 保険の充実が財政的に困難であるのは否定しないが、それとこれは別だ。 自由診療と保険診療をやると、すべてを自由診療として治療費を支払わなくてはならなくなって、結局保険診療しか受けることができなくなることだ。 それを防ぐために混合診療を認めることを問題とするのならもはや何も言うまい。 完全に価値観の相違だ。イスラム教徒にキリスト教を押し付ける気はない。

書いてないことに対して「これはその通り」とか「それとこれは別だ」とか言われても困る。 本当に、そのリンク先を読んだのか疑わしい。 読んでも理解できていないなら、意味もなく反発する前に、書いてあることを理解する努力をすべきだろう。

リンク先を読めとは便利なやり方だ。 まさに手抜きでしかない。 相手に理解させる気があれば必要な部分を抜き出してしかるべきだ。 もちろん全部読んでいない。 短文への反論のためにいちいち超長文のリンク先を読んであげるほどの暇人は滅多にいないだろう。

知識のないものが混合診療を語るならば、リンク先の記述はほぼ全て「必要な部分」であることは既に指摘した通り。 そのこととは別に、相手の主張を捏造することは「リンク先を読め」が「手抜き」であるかどうかは別問題である。

確かに、引用された3つの要因については定性論であって定量的には論じていない。 しかし、彼は定性的にも定量的にも全く反論していない。 彼は、保険充実にはプラスになる要因が無く、かつ、マイナスになる要因が複数あることに対しては反論していない。 プラス要因が0でマイナス要因が複数なら、総合的にはマイナスになることは明らかである。 その主張に対して、根拠を示して微々たる量だと定性的に論じるなら反論として認めることができる。 しかし、自分で断言したことに対して具体的疑念を指摘されているのに、定性的にも定量的にも反論することなく、馬鹿の一つ覚えのように断定を繰り返すだけなら、「曖昧で勝手に結論づけている」だけに過ぎない。

彼の安全性論の詭弁を看破しても無視。 情報の非対称性の問題を指摘しても無視。 「実質崩壊」の矛盾を指摘しても無視。 都合の悪いことは徹底的に無視し、根拠もなく断定するだけでいいなら、いくらでも負けない議論はできるだろう。

(回答なし)

(回答なしのため放置。)

(以下スルー)

回答なしのため放置。

池田信夫氏は保険財政の話をしているが、混合診療なんて暴論を持ち出さずとも解決策はいくらでもある。 良く言われるのが、公共工事等を削減して医療にまわせとする意見である。 また、国民皆保険の財政一元化を行なえば、財政難の国民健康保険を救済することは可能だ。 公務員の共済組合や大企業の健康保険組合は、付加給付をかなり充実させるほど財源に余力がある。 これらと財政難の国民健康保険とを一元化すれば、財政はかなり健全化できるだろう。 所得階層の細分化で高額所得者の負担を増やしたり、窓口負担を10割に増やすのも効果的だろう。 「窓口負担が10割では保険の意味がない」と言う人は、国民皆保険制度を勉強し直してから物を言ってもらいたい。 国民皆保険制度のうち貧乏人救済に必要なことは、窓口負担率の低下ではなく、高額療養費制度の強化である。 それでも、超貧乏人に10割負担はきついと言うなら、所得階層を細分化して低所得者の高額療養費限度額を引き下げれば良いだけである。

勝手に想像で決めつけて健全化できると思い込んでいるから滑稽である。 こういう曖昧で決めつけた結論を出すのなら誰でもできることだ。 根拠のある数字と

根拠ならいくらでもあるので後述する。 それにしても、ちょっと調べれば誰でも分かるのに、調べもせずに「勝手に想像で決めつけて」「思い込んでいる」と断言する根拠は何なのだろうか。 自分は何も出さないで「今までの診療が受けられなくなるわけではない」と「偉そうな結論」を出しておきながら、反論されると「根拠のある数字」を出せと言い出すことこそ「勝手に想像で決めつけて」「曖昧で決めつけた結論」であろう。

国民健康保険の救済は可能だと言うから、じゃあ数字出せばと書いただけの話だが、

「今までの診療方法がなくなるわけではない」と言うから、じゃあ数字出せばと書いているのだけど。

これは数字で論じる話だろうか? 国民健康保険の救済の話は金額の問題だから数字の問題だが、今までの診療方法が無くなると決めつけるのは思想に基づいた結論ありきだから数字を出せと主張する意味が解らない。

そちらは、プラス要因が0でマイナス要因が複数あることに一切反論していない。 それならば「今までの診療方法がなくなるわけではない」と結論づけるためには、定量的にマイナス要因の小ささを示す以外にない。 そちらの主張の根拠として必要なものを要求しているだけである。

今後の高齢化なども加味した数字を出してから偉そうな結論を出すべきだ。

尚、混合診療を解禁するかしないかの差を論じるにおいては「今後の高齢化なども加味した数字」は全く関係がない。 現時点で大幅に改善しても全く間に合わないなら、個人ブログ上で解禁論を説く段階はとっくに過ぎ去っている。 ほんとうにそうなら、今すぐにでも、それを超える効果の施策を実行すべきであって、混合診療をどうこうする議論をしている場合ではない。 実際には、現状の財政を大幅改善できれば、「今後の高齢化」による医療財政破綻は10年以上先のことであろうから、今直ぐ混合診療を解禁すべき状況にあるとは言えない。 よって、「今後の高齢化」はここで論じていること=「今すぐ混合診療を解禁する必要があるか」とは関係がないことである。

今後の高齢化と混合診療解禁が関係ないのはその通り。 問題は混合診療を否定することで、受けられるはずだった自由診療部分が受けられなくなって、結局保険診療しか受けられなくなってしまうことである。

「受けられるはずだった自由診療部分が受けられなく」人がどれだけいるのか。 混合診療でも、保険診療と比較すれば莫大な治療費が掛かる。 いったい、どれだけの人が、その治療費を払えるのか。 それは、保険診療の後退やインチキ療法の流行によるデメリットを超えるのか。 そちらの主張にはそうした視点が全くない。

治療費を払える人が混合診療を受けるだけの話であって、支払えない人は今まで通りの保険内診療を受ければいいだけだ。 混合診療の解禁は治療法を模索して苦しむ患者の治療に「格差」をもちこむことになります。 なんて格差という偽善語のひとつである単語を使ってまで混合診療を否定する人間に何を言っても無駄なのはわかってはいるが。

根拠も示さずに「今までの診療方法がなくなるわけではない」と言い張るだけなら何とでも言える。 元の文章の「格差」という言葉の意図を捩じ曲げて、「偽善語のひとつである単語」にすり替えているのはそちらであろう。

健康保険の財政関係と高額療養費の資料を示そう。 市町村国保と組合管掌健康保険の財政の差は国民健康保険制度の現状と課題 - 厚生労働省平成22年度事業仕分け国民健康保険組合への補助金の見直し改革案 - 厚生労働省を見ると良いだろう。 これを見ると、市町村国保、一般業種国保、建設関係国保の所得が他よりかなり低い。 そして、健保組合(組合管掌健康保険)の積立額は突出して多い。 統一化で市町村国保等の財政が大幅改善できることは一目瞭然だろう。

健康保険組合が積立金4兆1172億円。 他は合わせて5000億ぐらいの積立金。 国の予算(公費負担)が4兆3000億円。 つまり統一化してもしなくても国の予算が無くなったら持続不可能になる。 そもそも市町村国保は国から3兆円も毎年補助をもらっており、国の予算が無くなれば統一化しても焼け石に水である。 これは見やすい表のみから読み取れる数字だ。

他人に「根拠のある数字」を出せと言いながら、「国の予算が無くなれば」という仮定では話にもならない。

表を見れば国が予算をつけて保険に金をつぎ込んで維持されているように見えるが、これが事実なら国の予算が無くなれば維持不可能なのは明らかなのに仮定の話を持ち込むなか。 便利な言い回しだ。

「国が予算をつけて」は事実であるが、「国の予算が無くなれば」は根拠のない仮定である。 池田信夫氏も医療費の抑制について論じているが、「国の予算が無くなれば」などの極論までは主張していない。 相手の主張は「想像」と決めつけて自分の想像を否定されたら「便利な言い回し」で通るなら、それこそ「便利な言い回し」だろう。

百歩譲って「国の予算が無くなれば」仮定が現実になるとしよう。 その仮定では、3兆円もの公費負担に頼る市町村国保は大幅に財政が悪化する。 一方で、24億円しか公費負担のない組合管掌健康保険の財政にはほとんど影響がない。 だから、結果として、市町村国保と組合管掌健康保険の財政状況の差は余計に広がる。 この状態で財政一元化を行なえば、加入者一人あたりの赤字額が大幅に減らせる。 財政一元化したときの赤字額の減少幅は、公費負担を削減する前よりも大きい。 つまり、財政一元化による市町村国保の財政改善効果は大きくなる。 公費負担の削減によって全体として財政状況は悪化しても、財政一元化の効果は逆に増強されるのである。

そもそも「国の予算が無くなれば」「今までの診療方法がなくなるわけではない」「勝手に想像で決めつけて健全化できると思い込んでいる」は矛盾している。 「国の予算が無くなれば」保険収入は大幅に減る。 「勝手に想像で決めつけて健全化できると思い込んでいる」ならば、収入源を補える論は「想像」。 それならば、当然、支出も大幅に減らさなければならない。 それでどうして「今までの診療方法がなくなるわけではない」と断言出来るのか。 ちなみに、池田信夫氏の主張は支出抑制と保険縮小をセットで論じているから、このような矛盾は発生しない。 そちらの主張は、池田氏の想像を元に辻褄の合わない妄想へと作り替えたものである。

高額療養費については医療保険に関する基礎資料 - 厚生労働省(P.64)によると、平成20年度の医療給付の27,124,057,508千円のうち高額療養費は1,061,652,763千円である。 医療給付に占める高額療養費の割合はたったの3.91%に過ぎない。 この支出比率ならば、高額療養費だけを残して他を廃止すれば医療支出の9割以上を減らすことができる。 それだけ圧倒的な数値ならば、窓口負担率を引き上げつつ、高額療養費制度を強化することは充分可能だろう。

具体的に抜き出してきたから大変わかりやすいが、これは一つの考えだし俺も賛成だ。 病院が老人のサロンと化しているのを見ると、簡単な診療の負担を引き上げる必要がある。 今のところ所得のない人は75歳以上だと1割負担しかなく、これでは保険も財政ももたないのは明らかだ。 こういうのをどうにかして高額医療中心に保険の支出に回せばサロン化も防げることになる。

誰も老人医療の話などしていない。 財政の立て直しのために保険対象の医療を縮小しなければならない池田信夫氏の主張が成立しないことを示しただけである。 池田信夫氏への反論に対して「勝手に想像で決めつけて健全化できると思い込んでいるから滑稽」とケチを付けてきたのはそちらである。

老人医療の話をしていないのは確かだが、俺は老人医療の話をしただけだ。 今の医療制度を圧迫しているのは老人が増えすぎたことと医療費負担の少なさは保険制度を揺るがしている問題で、関連性が十分にあることだ。 混合診療とは直接には関係がないからって避けては通れない話に耳を傾けないのは思考停止だ。

関係ない文章を書くことこそ無駄に文章を長くする原因である。 長文で書くな、短文で書け、と言うなら、関係ない話に論点を逸らすな。 それでも何か言いたいなら、混合診療とは別の話題として別のエントリーで書けばいい。

そして難病患者が混合診療に反対しているというからそのリンク先を見ると、これまた滑稽だ。

今までの診療が保険外適用になるわけではなく、受けたい奴だけがプラスして混合診療を受けるだけなのに安全で効果のある治療薬を早期に保険適用にしろとは全くのお門違い。

リンク先を見たなら、当然、両立論の自己矛盾混合診療解禁が求められる背景も見ているはずである。 これらに反論せずに根拠も示さずに「今までの診療が保険外適用になるわけではなく」と断言するだけなら「理論らしきもの」どころか「屁理屈」さえない。 それでは「反対のための理屈を展開する屁理屈」にも遠く及ばない、賛成のための断言を並べ立てる感情論であろう。 賛成だと言いたいことだけは良く分かるが、主張には何も中身がない。

リンク先を全部読んであげるとでも思っているらしい。 短くまとめた文章や表ならまだしも、長々と長文を読む気はしない。 まず具体的に混合診療が主流になると、今までの診療が保険外診療になっちゃう理由を述べるべきだろう。 PDFと同じで短い文章の反論のためにいちいち長文のリンク先なんか読む気はない。

無知な人が基礎を学ぶには長文なしには不可能である。 基礎が分かってないのに何も調べずに物を言おうとすることが間違っている。 リンク先は、それでも最小限で済むようにまとめてある文章である。 その程度が読めないなら議論をする資格はない。

本当は手抜きをしているだけのくせに言い訳として無知な人が基礎を学ぶ人には長文なしには不可能と結論付けている。 リンクを貼るだけでそれでおしまいなのは、確かに非常に楽だ。 まさに手抜きで自己満足できる。資格があるかどうかもそっちが決めることではない。 手抜きをしましたと正直に書けばいい。

普通はここから引用していますと示して必要な部分を書き出すのがマナーなのに、ここに書いてあるだけでおしまいなのは学者にありがちだ。 このことは○○の論文に書いてあると、これだけで説明した気になっている連中がネットや本には多いが、これでは相手に理解させる気がないのはありありだ。

実際に長文を読まないそちらは基礎を理解していないし、読んだ部分も誤読だらけである。 リンク先は当方および他の人が事情を知らない人向けに最小限度にまとめた文章であり、リンク行為は手抜きではない。 基礎を学ばず、書いてあることさえちゃんと読み解こうともせず、手抜きしているのはそちらである。 理解もせずに反発するのでは、初めから理解する気がないのはありありだ。

反対している患者団体もあれば賛成している患者もいるのは世の常だ。

反対は「患者団体」で賛成は「患者」とは、単なるミスなのか、故意にやっているのか。 ミスならば、当方は反対する団体を複数挙げたのだから、賛成している患者団体を挙げてもらいたい。 故意にやっているなら、違う物を同列に比較するのは明らかな詭弁だろう。 反対している患者のうち、日本難病・疾病団体協議会は日本最大の患者団体だそうだ。 それを1人や2人の患者と比較するなんて詭弁も甚だしい。

反対がそちらが示している患者団体で、賛成は俺がテレビで見た患者の意見だ。 もちろんそのテレビの内容では反対している患者の意見もあった。 それを書いたら明らかに詭弁だとか違うものと決めつけることこそ詭弁だろう。

日本最大の患者団体と「俺がテレビで見た患者」では何人差があると思ってるのか。 ごく一部の少数例を出して、それが根拠になるのか。

人数差とやらがどれだけあるのか統計を取ったわけでもあるまい。 ごく少数例であるかもしれないがそうでないかもしれない。 そういうわからないことを、ごく一部の少数例と決めつけることこそ結論を一定方向に導きだそうとしている行為に他ならない。

「日本で最大の患者団体」と「俺がテレビで見た患者」の比較に「統計を取ったわけでもあるまい」は詭弁である。 他人の意見には根拠を求めておきながら、自分は何ら根拠も示さず「そうでないかもしれない」と主張するのは詭弁である。 実際に、そちらは「ごく一部の少数例」しか示していない。 違うと主張するなら「ごく一部の少数例」ではない根拠を示せ。

ちなみに、裁判をやっていた人なら、その人が受けた保険外診療は効果の疑わしいものである。 その手の治療よりも遥かに必要されながら承認されていない医療は他に沢山ある。

治療が承認されるか否かもここでは別問題だ。

誰も言ってないことに対して反論されても何も答えようがない。 元の主張は、効果の疑わしいもののために混合診療を解禁すべきとする理由は成り立たないと言ってるだけである。

もちろん混合診療賛成している団体らしきホームページもある。

それは患者団体なのか? 経済団体ではないのか?

どこからどこまでが経済団体で患者団体なのか色分けするのは不可能なのに、妙にこだわる。

「どこからどこまでが経済団体で患者団体なのか色分けするのは不可能」な団体が何処にあるのか。 日本難病・疾病団体協議会は色分けが困難な団体なのか。 ヒイラギの会がんと共に生きる会も色分けが困難な団体なのか。 そう主張するのなら、根拠を示せ。

TPP反対派もそうだが、混合診療反対派の屁理屈も負けず劣らずだ。

TPP反対派もそうだが、混合診療賛成派の屁理屈も負けず劣らずだ。 ろくに勉強もせずに聞きかじった情報を垂れ流すだけなら、米国陰謀論を唱えるTPP反対派と何も変わらない。

しかし混合診療を問題にしたがる連中の理屈も偽善語で満ちている。 とくにどうにでも解釈が可能な部分で自分の理想を押し売りするための思想に基づいて格差という言葉を使う輩は信用ならない。 これは俺の価値観だ。 納得できないのなら曖昧なくリンク先を貼って終わりの手抜きではなく自分の言葉で納得させるように書くべきだろう。

しかし混合診療“禁止”を問題にしたがる連中の理屈こそ偽善語で満ちている。 「自分の理想を押し売りするための思想に基づいて」「今までの診療方法がなくなるわけではない」という言葉を使う輩は信用ならない。 反論できないことに対して「どうにでも解釈が可能な部分」という言葉を使う輩は信用ならない。 納得できないのなら「曖昧なくリンク先を貼って終わり」などと言い訳せず、自分の言葉で納得させるように書くべきだろう。

とりあえず海外で実績のある薬を使いたい末期の患者の目の前で同じことが言えればたいしたものだ。

当方は「海外で実績のある薬を使いたい末期の患者」の前でも同じことを言っている。 リンク先で紹介した「海外で実績のある薬を使いたい末期の患者」の団体も、ほぼ同じことを言っている。 ヒイラギの会・癌と共に生きる会・日本がん患者団体協議会は「海外で実績のある薬を使いたい末期の患者」の団体である。 難病団体の多くは限定解禁派であるが、池田信夫氏などの解禁派の主張とは全く違う。 解禁派の患者団体は一度も見たことがない。 あと、現状でできることとできないことくらいも勉強しておくべきだろう。

まあネットでは証拠を示しようがないし、しょせん経験上の話だから俺がどうこう言うのもおかしいだろう。

「海外で実績のある薬を使いたい末期の患者」がほぼ同じことを言っていることはソースも示してある。 根拠を示せと言っておいて不利になると「ネットでは証拠を示しようがない」では話にならない。


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